同一労働同一賃金-日本郵便事件最高裁判例を確認
2020年10月中旬に同一労働同一賃金に関して争われていた日本郵便の最高裁判決が下されました。その数日前には大阪医科薬科大学事件、メトロコマース事件についても最高裁判決が下されています。
これら最高裁判決に関して、ビジネスガイド2020年12月号に弁護士の光前幸一氏による解説記事が掲載されていました。今回は、上記の事件のうち日本郵便の事件について、最高裁判決の内容を確認することとします。
日本郵便事件は、東京、大阪、佐賀の三箇所の事件に分かれていますが、事案の概要は以下のとおりです。
時給制契約社員として郵便物の集配や貨物の集荷業務に重視していた有期契約社員が、無期契約職員との手当等の待遇格差が不合理であるとして裁判所に救済を求めたもので、有期契約職員と無期刑役職員との職務内容等の異動はおおむね以下のとおりとされています。
時給制契約社員は郵便局等で集配等の一般業務に従事し、正社員(無期雇用)で郵便業務を担当していたのは、平成26年4月に人事制度が変更される前は一般職群(旧一般職)、変更後は地域基幹職および一般職(新一般職)であった。
期間雇用職員と正社員に適用される就業規則や給与規程は異なり、時給制契約社員は集配等業務のうち特定の業務にのみ従事し、昇任や昇給、配転等の人事異動は予定されていなかったが、正社員に登用される制度があり、一定の要件を満たす応募者に対して適性試験や面接により合否が決定されていた。また、郵便業務を担当していた正社員は、昇任や昇格で役割も大きく変動し、転居を伴う配転も予定されていた一方、新一般職は、標準的な業務に従事することが予定され、昇任や昇格は予定されておらず、転居が伴わない人事異動が命ぜられる可能性があるにとどまっていた。
上記のような状況下で、新・旧一般職には支給され、時給制契約職員に支給されていなかった諸手当やその他の待遇が幅広く争われていますが、最高裁ではこのうち、扶養手当、年末年始勤務手当、年始祝日給、夏季冬季有給休暇、病気休暇(有給)が審理の対象となっています。
1.扶養手当
扶養手当については大阪事件で取り扱われていますが、結論としては、契約社員に扶養手当を支給しないのは不合理と判断されています。
最高裁は、会社が扶養手当を従業員の継続的な雇用確保を目的としていると捉え、継続的な勤務が見込まれる労働者に扶養手当を支給するという経営判断は尊重されるが、そうであれば、有期契約が反復更新され、相応に継続的な勤務が見込まれる契約社員に扶養手当を支給しないのは不合理として原審を破棄しました。
2.年末年始勤務手当
これは12月29日~1月3日までの間に勤務した正社員にだけ定額が支給される手当でしたが、最高裁はその性質や支給要件、支給金額から労働契約法20条所定の職務の内容や配置の変更、その他の事情につき相応の相違があっても、時給制契約職員に支払われないのは不合理であるとして原審を維持しました。
なお、大阪高裁では、この待遇差について、5年を超えて勤務した時給制契約社員についてのみ不合理と判断していました。
3.年始祝日給
最高裁は、最繁忙期における労働力の確保という観点から設けられている年始期間における勤務の代償として祝日給について、有期契約が反復更新され業務の繁閑に関わらない勤務が見込まれている契約社員に対してこれに対応する祝日割増賃金を支給しないことは不合理と評価して、原審判断を覆しました。
4.夏季冬季有給休暇
最高裁の判決では、夏季冬季休暇がないことについて損害が認定されたというものですが、条件の差については、世間一般に広く採用され正社員には与えている夏季冬季休暇を時給制契約社員に全く与えないのは不合理と評価されています。
5.病気休暇(有給)
これは、正社員には私傷病の欠勤の場合でも90日間の有給休暇が認められているが、時給制契約社員には10日間の無給の休暇しかないことについて、私傷病による有給の病気休暇の日数をもうけることはともかく、これを有給とするか無給とするかにつき労働条件の相違があることは不合理と評価し、原審を維持しました。
大阪高裁では、この待遇差についても5年を超える基幹勤務した時給制契約社員についてのみ不合理と判断されていましたが、最高裁は、この制度が、長期勤続勤務が期待される正社員の継続雇用を図り、継続的な雇用を確保することに目的があり、そのための制度導入という使用者の経営判断も尊重できるが、そうであれば、有期雇用を反復更新し相応に継続的な雇用が認められる時給制契約社員にも有給の休暇を与えなければ不合理としたとのことです。
上記の病気休暇の部分で日数の違いを設けることについては許容されているように、差があってはならないというわけではありませんが、長期雇用への期待という観点では、契約の反復更新が期待される契約社員等との待遇差を合理的には説明できないという傾向にあるようです。